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鋳物ブログ

鋳物よもやま話

奈良の大仏をデザインしたのは岐阜県人!!

誰しもが一度は見たことがあろう奈良の大仏。重量が約250トン、総高さ14.87m、螺髪数966個(仏の頭髪が右に旋回して螺状したもの)という巨像大仏は見る人を圧倒し、そして人の心を魅了するのであろうと思います。

その巨像大仏は建立の詔刺から光背の完成までに28年間を要し、西暦771年に完成したのである。

現在の近代技術を駆使しても、その再現はきわめて難しいと思われるこの巨像を見るたびに1250年も前の古代にどうして出来たのだろうかと不思議に思うと同時に、おだやかな顔、豊満な生気にみなぎる艶やかな肉付き、1250年の年月を経た現代人にも感動を与えるデザインの素晴らしさを思う時、当時の匠たちとデザイナーの能力に畏敬の念を持つのであります。

鋳造の開始は西暦747年であり、その1年前の746年に聖武天皇は、大仏の原形に燃燈供養したと記録にありますが、その原形をデザインしたのは誰なのか?興味のつきないところである。
さて、743年に聖武天皇が大仏建立の詔刺を発し、巨像大仏の製作計画を打ち出す訳ですが、現代風に表現すれば決定者に対し、調査・企画・計画を行なう参謀役が必要であり、その担当が「行基」という奈良時代の僧であり(668~749年)、この行基が大仏のデザインコンペを行うため全国から集めた優れた仏師の中から、新進気鋭の若き仏師「日野金丸王」を選んだのであります。

この仏師「日野金丸王」は現在の岐阜市の出身であり、行基の指示により都に召され、大仏建立に務めたといわれます。
東大寺大仏堂造に対し、優れたデザインの功績が認められ、開眼供養の際(752年)日野金丸王は聖武天皇から「金銅獅子唐草文鉢」という仏餉器(仏前に供物を盛るための鉢)を賜り、持ち帰ったと伝えられ、その仏餉器は現在、岐阜市雄総の護国寺に保存されております。この仏餉器は、外面には獅子や唐草文が手彫りされ、優雅で格調高い作品であり、岐阜市唯一の国宝として保存されております。
(尚、この国宝は一般に開放されておりませんが、岐阜市歴史博物館にレプリカが展示されておりますし、金華山の麓で長良川左岸には日野金丸王出生地の由来から現在も日野金丸という地名が残っております)

世界に誇ることが出来る巨像大仏、そしてその大仏のデザインが我が郷土の先祖と知れば、何か心踊る気持ちが生じます。